Interview >>> 宮澤摩周(Vila Isabel)、工藤めぐみ(Salgueiro)

世界の音楽情報誌

「月刊ラティーナ2013年3月号」

 

リオ カーニヴァル 2013
“コムニダーヂ”に飛び込み、トップリーグで出場し続ける2人のサンバ

 

インタビュー:

● 宮澤摩周(ヴィラ・イザベル)

● 工藤めぐみ(サルゲイロ)

 

 

 

 


リオ カーニヴァル 2013
“コムニダーヂ”に飛び込み、トップリーグで出場し続ける2人のサンバ

 

2月に入ってカーニヴァル本番が近づくと、それまでリオの街を覆っていた雨雲は消え去り、きれいな青空が広がった。今年はリオの路上を約500ものブロコが練り歩くという。出場者も取り巻きも、誰もが気軽に楽しめるブロコは近年カリオカに大人気だ。ブロコ遊びに欠かせない仮装も年々エスカレートしていて、けっこうな お楽しみのひとつになっている。エスコーラ・ヂ・サンバのパレード会場〈サンボードロモ〉の道路も真っ白に塗装され、あとは本番を待つのみ。今年から運営 システムが一新され、8・9日はセリエA、10・11日はグルーポ・エスペシアル、12日はミリン(子どもだけのチーム)のパレード日となった。山車ひと つに数千万円をかけるグルーポ・エスペシアルの豪華絢爛なパレードは、〝世界最大(贅沢な)の祭典〟として世界中にニュース配信されているが、所属する 12エスコーラ・ヂ・サンバの生え抜きメンバーたちは、〝コムニダーヂ(※)〟と呼ばれるスラム街に暮らしている。カーニヴァルで動く巨額の資金とコムニ ダーヂの質素な生活ぶりのギャップはとてつもない。だからこそ、コムニダーヂ出身のメンバーが1年に1度のカーニヴァルに出場することは、想像を超えた意 味を持っているのかも知れない。

サンバは、コムニダーヂを内包するモーホ(丘)で生まれ育つ。青白色のチームカラーで知られるヴィラ・イザベルが母体とするのはマラカナン・スタジアム近くのモーホ・ドス・マカコス(猿の丘)。ヴィラからほど近いサルゲイロのチームカラーは烈しい赤色で、急峻のモーホ・ド・サルゲイロを母体とする。それぞれグルーポ・エスペシアルでの優勝経験を持つ強豪のエスコーラ・ヂ・サンバとして知られる。本稿では、ヴィラ・イザベルのバテリア(打楽器隊)として出場する宮澤摩周さんとサルゲイロのパシスタ(ソロダンサー)として出場する工藤めぐみさんのふたりに、カーニヴァル本番直前のリオで、サンバにまつわる話しを聞いた。
(※註)コムニダーヂ……ファヴェーラという言葉はネガティヴで犯罪や貧困を連想させるので、住民たちはコミュニティという意味のこの言葉を好んで使う。

—— 最初にサンバとのなれそめを教えてください。
摩周 僕はもともとロック・ミュージシャンで、01年にサンパウロへ楽器の買い付けにきたとき、初めてパゴーヂを聴いて衝撃を受けました。それでパンデイロタンボリンといったサンバ楽器をマスターしたいと思ったんです。当時は名前すら知らなくて、このタンバリンとか豆太鼓みたいな楽器は何?って感じで(笑)。帰国後に(日本在住ブラジル人サンビスタの)ダミオンと知り合い、彼が立ち上げようとしていたエスコーラ〈インペリオ・ド・サンバ〉に参加しました。
めぐみ 私は9歳でサンバをはじめたんですが、きっかけは94年の阪神淡路大震災でした。震災で落ち込んでいた母がサンバ教室の新聞広告を見つけて、私がやりたいからと父を説得したそうです(笑)。それで神戸にあったサンバ教室に母娘ふたりで通いました。父も1年後に楽器をはじめて、家族で10年間続けました。
—— エスコーラ・ヂ・サンバとの関わりはどのように?
摩周 05年にリオで知り合った(グルーポ・セメンチの)メストリ・トランビッキの演奏試験を受けた後、当時ヴィラ・イザベルのバテリアのヂレトールだったペリーを紹介してもらったのがきっかけです。だけど、出場には早すぎるという判断で06年のカーニヴァルには出られませんでした。その年ヴィラは優勝したんだけど、そのパレードはスタンドで観てました。悔しかったですね。それでまた半年後にリオへ戻ったんです。パレード本番まで全部で50回ほどバテリア練習があったけど一回も休みませんでした。衣装の引換券をもらった(=出場が確定した)ときの感動は今でも忘れません。
めぐみ 私は19歳のときに初めてブラジルに来ました。10年間やって自分がどのくらいなのかという力試しと修行が目的でした。ポルテーラにずっと一人でバスで通って、誰も知らないなかで勝手に着替えて練習に参加して。最初はいじわるされたけど、負けないぞって思って続けました。靴のサイズを聞かれたときに〝もしかしていけるかも〟って(笑)。そのまま無事に衣装をもらって、(05年に)ポルテーラのパシスタで出場することができました。
—— 初めてのパレード体験で一番印象に残っていることは?
摩周 アブリ・アーラス(※パレードで各チーム最初に登場する山車)が入ってきたときにわんわん大泣きしましたね。
めぐみ 始まる前にセトール・ウン(※もっともスタート位置に近い観客スタンド)の前にパシスタを並ばせてくれたんですよ。そしてエスケンタ(※スタート前の音出しウォーミングアップ)が始まったときにパシスタが皆ぶぁーって泣き始めて。それを見て、やっと出られたという気持ちは皆も一緒だったんやと分かって感動しました。
—— ポルテーラからサルゲイロに移ったのはなぜ?
めぐみ 08年に戻ってきたとき、たまたまサルゲイロの練習を見にいったら、(後に師匠となる)カルリーニョスがパシスタの振付をしていました。その教えている姿を見て、こんなパーフェクトな人がおるんやと感動しました。ポルテーラを去るのは辛い決断だったけど、カルリーニョスについていこうと決意したんです。

—— パシスタの環境はエスコーラで違う?
めぐみ ポルテーラは本当にコムニダーヂ(重視の)のチームなので、子供から大人までコムニダーヂ出身の子たちが多いですね。サルゲイロは選抜なので、あちこちのチームから引き抜かれてきた子たちが多いです。
—— エスコーラとコムニダーヂは切っても切り離せない関係ですよね。
摩周 (カーニヴァルは)コムニダーヂの住民が輝くことができる特権で、我々は横からスイマセンって言いながら入れてもらってる感覚がある。みんなワイワイ飲みながら楽しみながらやってるんだけど、一方でアンテナはりながらコムニダーヂのなかで輝きたいと思っている。だから自分が1着衣装をもらうことで(コムニダーヂの)誰かが落ちるわけで、そのことに対する覚悟と緊張感は常に感じてます。
めぐみ コムニダーヂのなかでは、赤ん坊のときからサンバに接するし、生活の一部ですよね。
摩周 そう、小さな子供たちがおもちゃ代わりに楽器で遊んでる。
めぐみ いまはモーホ・ド・サルゲイロの入口に住んでいるんだけど、丘の上からメインでやってる人たちが降りてくるのを見て、ほんまにコムニダーヂの人たちが作っとんのやって感じました。
—— エスコーラが体育会系というのも、日本人が抱くサンバのイメージと違いますよね。
摩周 最初は楽器を渡される前に2時間くらい立たされてました。
めぐみ パシスタはまず練習量が体育会系。ぶっ通しで2時間、3時間踊らされたりとか。サンバ・ノ・ペ(※サンバステップ)ってすごい体力使うんですよ。食べても食べても追いつかない。本当に体力勝負ですね。
摩周 ヴィラも週5回バテリア練習があるから、時間があるときは体力温存でなるべく動かない(笑)。
—— ふたりは日本でサンバを教えていますが、何を伝えたいですか?
摩周 (日本で)エスコーラ・ヂ・サンバをやるなら、現地のエスコーラをお手本とした明確な答えをみせてあげたい。それで有志を集めて、リオのルール通りのグループを作るべく、昨年から取り組んでます。楽器編成や配分、仕様、演奏スタイルなどすべてヴィラ流を踏襲しています。最初はブロコからのスタートですが、いずれエスコーラとして浅草サンバカーニバルに参加したいですね。
めぐみ 私はフェジョン・プレットというチームを神戸でやってて、今年でちょうど10周年になります。家族や親子の参加者が多いんですが、子供たちはコンテストが終わると感動して泣くんですよ。一生懸命練習して頑張ったからこそ本番で感動できるんですよね。それはチームのみんなに伝えたかったことのひとつです。私は本場のサンバをやりたいので、リオに通って学んだことを持ち帰ってます。ほんま使命感もありますね(笑)。
—— パレード本番を目前にひかえて、今の心境は?
めぐみ 私はエンサイオ・テクニコ(※本番前の、カーニヴァル会場での公開リハーサル)が終わったときに第一段階クリアという感じで一度力がぬけましたね。これで出場できるんだって思って。
摩周 そうそう、出場できると分かるまでのプレッシャーが半端なくでかい。だから練習にずっと参加して衣装の引換券をもらえるまでが勝負で、もらえてからは気持ちが穏やかになる。今はリラックスしながら、体調を整えて本番を楽しもうという気持ちです。                ●


工藤めぐみ
9歳で母親とサンバを始める。
04年、19歳で初海外、初一人暮らしでブラジルへ渡り、半年間、力試しと修行をする。
05年、ポルテーラとトラヂサォンのパシスタで出場。
08年、再びリオデジャネイロへ。
09年、サウゲイロのパシスタで出場。この年サウゲイロは優勝。
10年~11年、サウゲイロのパシスタで出場。

神戸のサンバチーム「フェジョン・プレット」に所属(SAMBAフェスタKOBE 5連覇中)。
http://www.feijaopreto.net/

宮澤 摩周(みやざわ ましゅう)

1970526日生まれ 愛知県出身

パーカッショニスト

 

大学卒業後、雑誌の編集記者として勤務、その後ドラマーとして生活を始める。2001年、友人であるDJ POKIの依頼でブラジルの打楽器の買い付けのため、初めてブラジル・サンパウロ市を訪問。2ヶ月間の滞在中にブラジル音楽の豊かさに完全に感化される。

 

帰国後、恩師ダミオン ゴメス ソウザと出会い、エスコーラ サンバ・インペリオ サンバへ入会。この頃から、リオ・サンパウロを毎年旅するようになる。

 

 20052006年、リオ ジャネイロ連邦大学に語学留学生として滞在。この間にGrupo SementeTeresa Cristina等、Lapa地区で活躍する若手アーティストとの交流が始まる。当時Grupo SementeのメンバーだったPedrinho Mirandaのすすめで、Cordão do BoitatáGrupo Sementeなどとともに、Mestre Trambiqueのプロミュージシャン向けバトゥカーダレッスンを受講。師の推薦によりリオのエスコーラ サンバ・Unidos de Vila Isabelへ入会。現在まで所属。バテリアのメンバーとして200720102013年のパレードに参加。

 

日本国内ではパーカッショニストとしてサンバ、ボサノヴァ演奏家等と共演、エスコーラ サンバのバテリア指導、パンデイロ他パーカッションのレッスンも行っている。


20129月よりBlocoQuer Swingar vem pra cá を主宰。エスコーラ サンバ・ヴィラ イザベルとの直接交流を図ることができる日本で唯一の団体として、サンバ文化と正確な技術指導を通じた後進の育成を始める。現在メンバーは30名。
http://blog.livedoor.jp/elefanterj/